トイレの隙間尿漏れ対策で考えたこと:清潔と安全を維持すること

トイレ掃除って、誰かが「タイミングよく」きれいにしてくれることで、
「清潔」と「安全」とが保たれてるのだと思う。
だけど、「タイミングよく」というのが、時にはすんごい大変で、切実で・・・というのを書いてみたい。

もうずいぶん前だけど、医療福祉関連にいた頃を思い出して書いてみると。

危ない!って思ってるけど、駆け寄れない

すんげー困ったのが、介助中に、他の方が危険とか、「たすけて」状態のとき。
ここでは、便座の下の隙間からのおしっこ漏れを主に取り上げてるので、その例をあげると、こんな感じ↓

あーー、座って待ってて、行くからね!!
・・・っていうのが、伝わって、かつ、相手が応じてくれたらいいのだけど。

ご自分のことで精一杯、なんとかしようとする方もいるし。
「はぁ??、なんて言ったぁ??」よろよろ、動き出しちゃう方もいるし。

こういう、危ない!っていう状況のとき、
現実には、他のスタッフが気づいて駆けつけてくれるか、
もしくは
自分が介助中の方を安全なところに座るor寝てもらう そして、駆けつける。
どっちかになる。
間に合わないこともある。

そして、そういうことって、珍しいことじゃなく、いろんな場面であり得る。

掃除が必要な時に、すぐできるとは限らない

そこまで緊急じゃなくても。
患者さんのほうから、「トイレが汚れてるよー」知らせてくださることもあった。
知らせてくれるくらいだから、その方はわかってて、気をつけることもできる。
でも、他の方も自分で気づいて注意できるとは限らない。だから怖い。

お掃除のスタッフの方にダイレクトに知らせることができたらいいのだけど、すぐ近くにいるとは限らない。
誰でもいいから、スタッフに伝えようとしても、これまた、その場にいるとは限らない。ともかく、伝えないとーーーと思ったら。

「あれ? トイレ行きたいんだけど」他の患者さんがトイレ到着。
・・・あー、ごめん、ちょっとお掃除してもらうから。
「ええーー! やっと、ここまで来たのに・・・待てんよーー」
・・・とってもがんばって車椅子自走して来られた様子のその方に、
そうよね、あっちのトイレに行きましょうーーー  と
介助で車椅子を押して行こうとすると、

別の患者さん登場「トイレ、次いい?」
・・・ごめんーー、掃除してもらうんよ、あっちのトイレに行こう。
「えー、遠いなーーー」「遠いなー」

これ、たまたま会ったから、そう声をかけたんであって。
誰もいない間に、今、使えないよーっていう立入禁止札(?)とか置く前に、
気づかずにトイレにきて、立とうとして、滑っちゃうことが、
無いとはいえない。 そこがクセモノなんだ。

っていうか、ちょっと離れたトイレに移動しようっていう、ただそれだけなんだけど、
普段の私には、ぜんぜんたいした距離じゃないんだけど、
ほんとにまぁ、なんて遠いんだ!!

誰かが倒れたとかの緊急事態ではないものの、
こうなったらもっと大声で呼ぼう・・・
お、トイレの非常ボタンあった、これ使おっか・・・

急に対応しなきゃいけない状況を減らすことの意義

こういうのって、何かしら連絡手段があれば、人間が移動しなくても伝えられる。
異常を感知してスタッフに自動的に知らせる仕組みがあるなら、さらにスピードアップかもしれない。
だけど、たいした費用じゃなくできそうなことでも、なかなか現実的な話は当時できなくって。

いろんなことが雑多に起こり、それに応じながらこなさざるを得ない、
そういう状況がもう少し、なんとかならないのか・・・
ほんとは、もっとゆっくり、患者さんに接したいのに。
それぞれのスタッフが専門性を発揮する業務に時間をかけたいのに。

だから、思ってたのは、
せめて、急に対応しなきゃいけない状況ってのが減らせたらいいのでは、と。
たとえ、やることの内容も量も変わらなかったとしても、
時間的に緊急でなく融通がきくだけでも、危険な状況は減らせるし、患者さんにもスタッフにもいいと思ったのです。

環境を工夫して、減らせる負担、生まれるゆとり

今年、コロナのことがあって、「エッセンシャルワーカー」とよばれる、日常生活や社会を維持するのに欠かせない職業についている方々に、注目が集まるようになりました。

最近では、集中治療室を遠隔でつないでの治療や見守りの体制とか、介護現場へのロボットの導入などのニュースを見かけることも増えました。

でも、そんな取り組みがすすんでるところは、たぶん、まだまだ少なく。。
医療福祉だけでなく、いろんな現場で過酷さは増して、わたしたちの想像をはるかに超える状況にあったのだろう、と。 これからも、起こりうるのだろう、と。
・・・担ってる人の努力に頼りすぎです。

私たちが扱ってるものも含めて、トイレの隙間漏れ対策って、ほんとにごくごく些細な工夫のひとつにすぎないです。
でも、環境を工夫することで、人間の負担を少なくすることはできる。
他にも、補える手段を、仕組みや方法を、いろんな視点で考え、積み重ねることは必要と思うのです。
そうしてできる時間を、もっと大切なことに、できれば、ゆとりにまでつながるといいと思います。